Twishortより
お題:レクバン 雰囲気:ふしぎなくすり
雨がしとしと降っていた。その雨が運ぶ湿気は重たく地面を這い回り、ドアの僅かな隙間からこの空間に流れ込んでくる。何となく、それが視覚化されるようだった。ずるずると、湿気がBlueCatsの床に蔓延っていって、やがてこの部屋全体に広がる様子が。
「どうしたの?レックス」
カウンター越し、バンがストローから口を離して問う。カラン、とそれに合わせて氷が氷とぶつかる音が部屋に響いて、湿気が少し無くなったような錯覚を覚える。バンは俺の言葉を待っていると言わんばかりに、俺の目をじっと見つめていた。俺はその目から目線を逸らして、ドアの方にそれをやる。
「雨が、強くなりそうだな」
しとしとと降っていた雨の音が、次第に強くなっていくのが聞こえた。洋服のポケットからCCMを取り出して、天気サービスのアプリを起動させると『台風―号が接近しています』・・・・・・嗚呼、知らなかった。俺は馬鹿だ。この季節の天気の気まぐれさを、忘れた訳ではないのに。
「台風が来てるんだよ、今月最大の」
心なしか、バンは楽しそうだった。日常とは少し違う非日常を楽しんでいるのだろう。その証拠に、足はさっきから前後に揺れ動いているし、目はらんらんと輝いている。
――まぁ、"こういう日"に晴れなのよりは、良いかもな。
ポン、と心を突いて出てきた言葉に、俺は顔を顰める。いけない。それだけはやってはいけない事だと、自分が1番理解していた。彼にはまだ未来がある。それを奪う権利なんて、俺には、ない。これ以上罪を重ねていく気もない。せめて、最期は"善人"と呼ばれる側にいてみたいから。何を善として何を悪とするかなんて、人間の勝手に決めた、例えば他の動物たちからしたら滑稽極まりない線引きで、結局善も悪も同じところにあるのに。戦争が良い喩えだ。戦時中は殺せば殺す程に善と言われるのに、終戦すればそれは総て悪になる。結局、そういう事なんだ、この世界は。
それでも、この世界に、俺はまだ希望を見出そうとしている。絶望のまま死にたくなかった。最期ぐらい、何かを信じていたい。夏目漱石の有名な作品を思い出す。『私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。(※)』
結局、俺も人だった。誰かを信じて死にたい。1人は寂しかった、ずっと寂しかった。だから、今日こうやってバンを読んで、ポケットにこんな物を忍ばせているんだ。
「レックス、何を持ってるの?」
雨が降っている。ざぁざぁ、バンの声が雨音に奪われそうになる。そんなの認めないし許さない。バンの最期も俺の最期も、等しくここに葬るんだから。誰も知らない、俺たちだけの秘密。雨音にも風音にも奪わせない、バンの声も顔も体温も存在も、総て俺のものにして、俺と同じところで俺と同じところへ向かうんだ。嗚呼、台風が、憎い。
「これはな、俺たちを1つにするおまじないのくすりなんだ」
まるでお伽噺のワンシーンのように、バンに語りかける。普通な最期にはさせない、他のどんな奴とも被ったりしない、俺たちが初めてで最後になる、俺たちだけの、おしまいへの道。その時の状況、俺たちの体温、表情、台詞、総てここで葬るから。
「じゃあ、――で頂戴」
バンの緩慢な笑みに、俺も微笑んだ。カウンター越しに向き合うのをやめて、隣に座る。すると、バンが急に赤い紐を俺に寄越した。「ずっと、いっしょ」まるで何も知らない子供の様、バンは笑った。俺は出来る限り優しくバンの手を取り、小指にその紐を結んでやった。そして、俺の小指にも。
そして"おまじないのくすり"の袋を開けて、中身を2つ、口に含む。そのままバンの頬に手を添え、そっと唇を合わせる。バンは早く早くと俺の唇を自分の舌で叩く。嗚呼、バン。お前が望むなら、すぐにやろうじゃないか。くすりを1つ、バンの口に渡す。その後は簡単だった。互いに合図せずとも、呑み込むタイミングは同じだったのだから。
雨が降っていた。轟々と鳴り響く雨音が、俺の耳を塞ぐ。
「愛してる、レックス」
「愛してる、バン」
世界の色が混ざって、黒になる。バンの色も、俺の色も、吐いた血の色も、2人倒れ込んだ床の色も、最期に見えた俺たちを結ぶ赤い紐の色も、どちらのと分からない涙の色――涙の理由は、きっとこの結末しか選べなかった悔しさと、幸せ――も、全部、1つになる。
やがて、物音もしなくなって、雨音だけは変わらない。2人を結ぶ赤い紐がいらない程、2人はほぼ重なり合うようにして倒れ、吐いた血も涙も体温も全部共有して、幸せそうに微笑んでいた。
――――
今までとは少し違って、おくすり系心中でした。マイナーチェンジ。
それと、『※夏目漱石「こころ」より』です。あの作品は本当に考えさせられます。大好きです。
お題:レクバン 雰囲気:ふしぎなくすり
雨がしとしと降っていた。その雨が運ぶ湿気は重たく地面を這い回り、ドアの僅かな隙間からこの空間に流れ込んでくる。何となく、それが視覚化されるようだった。ずるずると、湿気がBlueCatsの床に蔓延っていって、やがてこの部屋全体に広がる様子が。
「どうしたの?レックス」
カウンター越し、バンがストローから口を離して問う。カラン、とそれに合わせて氷が氷とぶつかる音が部屋に響いて、湿気が少し無くなったような錯覚を覚える。バンは俺の言葉を待っていると言わんばかりに、俺の目をじっと見つめていた。俺はその目から目線を逸らして、ドアの方にそれをやる。
「雨が、強くなりそうだな」
しとしとと降っていた雨の音が、次第に強くなっていくのが聞こえた。洋服のポケットからCCMを取り出して、天気サービスのアプリを起動させると『台風―号が接近しています』・・・・・・嗚呼、知らなかった。俺は馬鹿だ。この季節の天気の気まぐれさを、忘れた訳ではないのに。
「台風が来てるんだよ、今月最大の」
心なしか、バンは楽しそうだった。日常とは少し違う非日常を楽しんでいるのだろう。その証拠に、足はさっきから前後に揺れ動いているし、目はらんらんと輝いている。
――まぁ、"こういう日"に晴れなのよりは、良いかもな。
ポン、と心を突いて出てきた言葉に、俺は顔を顰める。いけない。それだけはやってはいけない事だと、自分が1番理解していた。彼にはまだ未来がある。それを奪う権利なんて、俺には、ない。これ以上罪を重ねていく気もない。せめて、最期は"善人"と呼ばれる側にいてみたいから。何を善として何を悪とするかなんて、人間の勝手に決めた、例えば他の動物たちからしたら滑稽極まりない線引きで、結局善も悪も同じところにあるのに。戦争が良い喩えだ。戦時中は殺せば殺す程に善と言われるのに、終戦すればそれは総て悪になる。結局、そういう事なんだ、この世界は。
それでも、この世界に、俺はまだ希望を見出そうとしている。絶望のまま死にたくなかった。最期ぐらい、何かを信じていたい。夏目漱石の有名な作品を思い出す。『私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一人になれますか。(※)』
結局、俺も人だった。誰かを信じて死にたい。1人は寂しかった、ずっと寂しかった。だから、今日こうやってバンを読んで、ポケットにこんな物を忍ばせているんだ。
「レックス、何を持ってるの?」
雨が降っている。ざぁざぁ、バンの声が雨音に奪われそうになる。そんなの認めないし許さない。バンの最期も俺の最期も、等しくここに葬るんだから。誰も知らない、俺たちだけの秘密。雨音にも風音にも奪わせない、バンの声も顔も体温も存在も、総て俺のものにして、俺と同じところで俺と同じところへ向かうんだ。嗚呼、台風が、憎い。
「これはな、俺たちを1つにするおまじないのくすりなんだ」
まるでお伽噺のワンシーンのように、バンに語りかける。普通な最期にはさせない、他のどんな奴とも被ったりしない、俺たちが初めてで最後になる、俺たちだけの、おしまいへの道。その時の状況、俺たちの体温、表情、台詞、総てここで葬るから。
「じゃあ、――で頂戴」
バンの緩慢な笑みに、俺も微笑んだ。カウンター越しに向き合うのをやめて、隣に座る。すると、バンが急に赤い紐を俺に寄越した。「ずっと、いっしょ」まるで何も知らない子供の様、バンは笑った。俺は出来る限り優しくバンの手を取り、小指にその紐を結んでやった。そして、俺の小指にも。
そして"おまじないのくすり"の袋を開けて、中身を2つ、口に含む。そのままバンの頬に手を添え、そっと唇を合わせる。バンは早く早くと俺の唇を自分の舌で叩く。嗚呼、バン。お前が望むなら、すぐにやろうじゃないか。くすりを1つ、バンの口に渡す。その後は簡単だった。互いに合図せずとも、呑み込むタイミングは同じだったのだから。
雨が降っていた。轟々と鳴り響く雨音が、俺の耳を塞ぐ。
「愛してる、レックス」
「愛してる、バン」
世界の色が混ざって、黒になる。バンの色も、俺の色も、吐いた血の色も、2人倒れ込んだ床の色も、最期に見えた俺たちを結ぶ赤い紐の色も、どちらのと分からない涙の色――涙の理由は、きっとこの結末しか選べなかった悔しさと、幸せ――も、全部、1つになる。
やがて、物音もしなくなって、雨音だけは変わらない。2人を結ぶ赤い紐がいらない程、2人はほぼ重なり合うようにして倒れ、吐いた血も涙も体温も全部共有して、幸せそうに微笑んでいた。
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今までとは少し違って、おくすり系心中でした。マイナーチェンジ。
それと、『※夏目漱石「こころ」より』です。あの作品は本当に考えさせられます。大好きです。
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